大阪のターミナル駅が集中する梅田の通称「うめきた」エリアにおいて、1500体を超える埋葬人骨が発見されたのは記憶に新しいところです。梅田墓の発掘調査以降に、あまりの人骨の数の多さから大半が埋め戻しをされたといわれていますが、その上に高層ビルなどが建つとされているため、心霊現象を気にする人は多いと思われます。
そして、梅田周辺には「霊道が通っている」といわれる通り、泉の広場や大阪ヨドバシカメラのような心霊情報が囁かれる商業施設やスポットがあります。
そこで、この記事では、気になる梅田周辺について、梅田が過去にどのような場所であったか、今後どうなるか、また、大坂七墓といわれる場所はどこなのなど、解説していますので、気になる人はぜひご覧ください。
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大阪梅田の地名の由来は、淀川の南に広がる低湿地を埋め立てた「埋田」からきていると言われます。その「埋」という字からもわかる通り、過去には「お墓」が存在した場所です。
大坂七墓(ななはか)の一つで「梅田墓」といわれ、江戸時代末期から明治初期頃に発見されました。現在は「うめきた2期区域」と呼ばれる場所、まさに再開発地域です。
梅田墓を知る前に、大坂七墓についても触れておきます。
大坂七墓と呼ばれる墓は、墓の呼び名です。江戸時代に大坂三郷の中に存在した墓地を大坂内の7つの場所に移動させた墓地を総称した呼び名となります。
下図の通り、大阪市内に7箇所点在していました。
1. 梅田墓地
2. 南浜墓地(浜墓地)
3. 葭原墓地
4. 蒲生墓地(野田墓地)
5. 小橋墓地
6. 千日墓地(千日前墓地)
7. 飛田墓地(鳶田墓地)
▼簡単に解説します。
①梅田墓地
2019年(令和元年)9月からの大阪市教育委員会と一般財団法人大阪市文化財協会(旧・大阪文化財研究所)による北区大深町遺跡の発掘調査において、梅田墓地跡で、1,500体を超える埋葬人骨や350点を超える蔵骨器、他には副葬品や動物の骨などが発見されたことが2020年(令和2年)8月13日に大阪市教育委員会から報道発表された。
wikipedia 大阪七墓
大阪駅の北側エリア「うめきた」には、梅田墓地があり、この周辺から大量の人骨が発掘されニュースで話題になる。
②南浜墓地(浜墓地)
行基が開いた日本最古の墓所といわれている
wikipedia 大阪七墓
行基が開いた日本最古の墓所といわれている。
③葭原墓地
天神橋筋六丁目交差点(天六)付近に存在。
wikipedia 大阪七墓
葭原墓地の場所で検索すると、おおよその場所が特定できます。近くには栄温泉という銭湯が過去にあったようです。現在は沖向地蔵尊が残っています。
④蒲生墓地(野田墓地)
東野田町に現存し大坂七墓の旧態が残る珍しい墓地となっている。
wikipedia 大阪七墓
現存する墓地のようです。七墓巡りでは訪れてみてもよいでしょう。
⑤小橋墓地
現存せず跡地は東高津公園となっており、現地には東高津延命地蔵堂のみ残る。
wikipedia 大阪七墓
東高津公園 心霊で検索すると、心霊現象の報告などが挙がっているようですね。
引用元の参考:wikipedia 大阪七墓
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「うめきた」は「大阪駅北地区」という地域で、うめきた1期と2期の再開発エリアです。うめきた1期に開発された複合施設には、「グランフロント大阪」があります。
※グランフロント大阪をおおしまてるで検索すると・・
上の図で赤線の区域が「うめきた2期」として、現在も再開発中のエリアです。図の公園整備事業と書かれた少し下の位置から多数の人骨が発見されたと推測されます。
現在、発掘現場の詳細は伏せられているようですが、おおよそ検討がつきます。
Googleマップにて「梅田墓」を検索すると下記の位置が表示されます。
▶︎ 大坂七墓「梅田墓」跡(MAP)
梅田周辺は阪急が開発するまでは湿地帯で沼地や墓地であったといわれますが、古地図でみると、なにもない場所に見えます。
この赤線内のどこに梅田墓地があったのかはわかりにくいですね。
古地図では、天満の方は栄えている一方で、赤く線で囲った「北ヤード開発地区」は「草」くらいしかありません。まったく栄えていなかった場所であるというのだけはわかります。
そして、さらに調べていたところ、大阪市の発掘調査の報告書を見つけました。
「大深町遺跡発掘調査報告の調査範囲」と記載された緑色の箇所が梅田墓地があったところと推測できそうです。
同報告書によると、発掘調査は、うめきた2期地区南西隅(南街区南西部)の 700 m2 において実施されており、墓地の北と南を区画する石垣、200 体を超える土葬人 骨のほか、火葬の際に生じた大量の骨灰(残灰)土を含んだ大型の穴(「骨灰土 壙」)、廃棄された骨壺、水田跡などが見つかっている。なお、梅田墓は、江戸時代 初期、天満周辺に散在していた墓所を、曽根崎村(現在の大阪駅前第一ビル付近と推 定されている)に分割移転させたのがその始まりで、その後、現在の「うめきた」南 西部に貞享年間(1684 年~1688 年)に再移転されたと考えられており、発掘場所は 明治 23 年(1890 年)の地図に示された「梅田墓」のほぼ中央を縦断する位置に当た る。発掘調査が実施された範囲は、図 5-14-1 に示すとおりである。
参考:大阪市 図 5-14-1 発掘調査実施範囲
そして、この辺りは埋め戻しがされたようで、今後はこの周辺が住宅地として再開発がされる予定。
うめきた2期地区開発工事の完了後に、心霊現象や事故などが起きるのかが気になるところです。
▼実際の現場の写真
最後に、航空写真にマーキングした「梅田墓地」の古地図から読み解く場所です。若干の位置ズレはあるかもしれませんが、おおよそ特定できたと思われます。
この辺りを通行する際には事故や事件など、心霊現象も含めて注意した方がよいでしょう。
■墓地がある場所は商売繁盛?
ここまで墓地がある場所を紹介しましたが、必ずしも墓地が悪いとは限りません。それは、お墓の近くは商売繁盛するといわれがあるためです。あくまで、ネット上の噂や情報ですが、言われてみると、墓地の近くで繁盛している飲食店などは多々あります。また、梅田や千日前にはなぜか人が集まってくる気がします。
■墓地がある場所は風水ではよくない?
結論、風水ではよくないとされている。特に住居として住むにはよくない。
■大阪七墓巡りとは?
江戸時代には、「七墓巡り」が流行したとされます。大阪の街を知るには墓地を知る必要があるため、「七墓巡り」を通じて、大阪の歴史を知るのもよいかもしれません。