眠らない繁華街である港区六本木。その街の象徴「六本木ヒルズ」には、IT企業集積、展望台、ファッション、インスタ映えスポットなど、文化の最先端を歩んできました。一方で六本木ヒルズでは過去には世間を騒がせた事故や事件が起こったりしており、心霊情報なども囁かれます。
また、風水や土地に詳しい人の間では逆パワースポットといわれることもあります。この記事では、六本木ヒルズが逆パワースポットといわれるのか知るべく、過去にこの周辺がどのような土地であったか、歴史をもとに振り返ってみたいと思います。
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六本木ヒルズがよくないと言われる理由に、土地の要素が原因といわれることがあります。土地の要素とは、建物が建つ前の過去の土地の歴史や、風水的要素のことを指します。
代表的なものに下記があります。
①立地(風水)
②土地の歴史
③毛利庭園の歴史
陰陽道では南西の方位は裏鬼門とされ、風水ではよくない方位とされます。
江戸城跡地である皇居を中心にみた際に、六本木ヒルズはちょうど南西の裏鬼門に位置しており、立地としてはよくないため、逆パワースポットといわれます。
また、六本木ヒルズの乱れた磁場によって、この周辺に来るとなんとなく嫌な気がするといった口コミも見受けれらます。恐らく、鬼門、磁場の乱れ、様々な要素が入り混じっている可能性はあります。
もともと、4件あった寺院を移転し、その際には墓石を一緒に壊したと噂されます。寺院があった場所に人間が無理にビルを建てたことがよくないとされています。
参考:庭園の歴史年表
https://www.roppongihills.com/green/mohri/history.html
六本木ヒルズの敷地内には毛利庭園があります。ここは元々、赤穂浪士(あこうろうし)と呼ばれる武士が住む武家屋敷が建っていました。その武士達がこの地で切腹を行った歴史があるため、不吉に思う人もいるはずです。
また、現在の毛利庭園の池は元々あったニッカ池を埋め立て、その上に人工的に防護シートで隠して新しく池を作ったとされています。
「ニッカ池」と呼ばれ皆様に親しまれてきた池の姿は現在見ることができません。ニッカ池は現在の毛利池の下に隠れているのです。
六本木ヒルズ公式サイト
そして、過去には池の傍に「赤穂浪士切腹の牌」が祀られていましたが、六本木ヒルズ建設後にはどこにも見当たらない状態になってしまい不明です。そのために赤穂浪士たちの霊が彷徨っているのかもしれません。
これらのことから、高層ビルを建ててはいけない土地だった可能性も否めません。
今回、六本木ヒルズを調べていく中でわかったことは、かつて六本木は軍隊の街だったということです。兵隊の暮らす街として明治時代に発展し、終戦以後、昭和20年アメリカ軍が進駐してきたのを背景に、街の様子が変化していきました。
現在の六本木は外国人が多い街ですが、歴史を振り返れば納得ですね。また、もうひとつの顔として、古いお屋敷町でもありました。華族(日本の貴族)の広大な屋敷が作られた土地でもあったそうです。
六本木ヒルズ森タワー正面広場(66プラザ)には、高さ10メートル超えの巨大クモのオブジェが聳え立っています。このオブジェはフランスの女性アーティスト、ルイーズ・ブルジョワが制作した「ママン」と呼ばれる作品です。
「ママン」は、フランス語でお母さんって意味を持ちます。なぜ蜘蛛のオブジェなのかというと、製作者のブルジョワしか本当の意味での真意はわかりませんが、アーティストの頭の中で描いたものだと想像できます。
六本木ヒルズを東京の文化の中心地にしようというアイデアの一環としてスタートした「六本木ヒルズパブリックアート&デザインプロジェクト」。 敷地内の各所に20人以上の世界的アーティストやデザイナーに特別に創作を依頼したもので、「文化都心」というテーマに相応しい大規模な計画が街全体に展開されています。
六本木ヒルズ
六本木ヒルズのパブリックエリアには、こうしたパブリックアート作品が点在しているのが面白いところ。
六本木ヒルズでは近年でも様々な事件がありました。内容は割愛させて頂きますが、代表的なものに下記があります。
六本木ヒルズに入る企業は大企業が多いですが、こうして振り返ると土地の影響などあるのかと思ってしまうところ。
また、「六本木ヒルズ 飛び降り」や「六本木ヒルズ 事故物件」などの情報もネットでは散見されますが、ニュースにならない?などの情報も見られます。上記に挙げた事件以外にも、なにかしらの事件が起こっている可能性はあります。
ここまで、参考までにご紹介させて頂きました。六本木ヒルズに立ち寄る際には、注意しておきましょう。