大阪は「島地名」といわれる「島」が地名につく地域が数多くあります。その一つに「大阪 福島」があります。福島駅の周辺には古い商店街がありつつも、新しい飲食店などが加わり、レトロ文化と新しい文化が入り混じっている面白い地域です。そして、この福島ですが、歴史を辿ると「餓鬼島」という地名でした。ちょっと不気味な地名ですね。この地名はなぜ、ついたのでしょうか?あまりいいイメージの漢字が使われていないようにも思われます。この記事では、気になる福島の歴史、地名の由来などご紹介致します。
※本コンテンツ内で紹介するサービスの一部または全部に広告が含まれています(PR)
福島区の東部に位置する町名です。北に新淀川、南は堂島川・安治川に面し、大阪市の西北部に位置しています。
行政地名は福島一丁目から福島八丁目とされます。梅田から一駅という立地の良さから、幹線道路沿いにはオフィスなどが立ち並びます。
一方、少し道にそれると昔ながらの商店街やお店などが立ち並ぶ街です。
■餓鬼島は水難者の弔いに関わる地だった説!
福島は、淀川の土砂が堆積してできた島とされています。
それは「湿地=ふけ」+「島=しま」の転字とする島の地名が由来とされるためです。また、さらに昔の旧地名「餓鬼島」と呼ばれていた詳細は、はっきりとはしていません。
手がかりとして、別名:葭原島(あしはらじま)とも呼ばれていたことはわかっています。
一説によると、地名の由来で有力なのは川施餓鬼(かわせがき)からきているとされています。「川施餓鬼」は水難者の供養を起源とし、お盆の灯篭流しにも変じていく仏事を指します。
(以下:参考)
▼かわせがき/川施餓鬼
川辺あるいは船上において修する施餓鬼会。その地の水難者の供養を本来の目的とし、付して有無両縁の亡者の供養のために行う。由来・縁起および儀式内容はその土地ごとに様々であるが、昨今では盆月の夕刻に灯籠流し、経木流しなどを行い、「精霊送り」の意が大きい。船上での読経は鳴り物が多く用いられ、遊覧船が出るなど、多分に見物客を意識した行事になった。また、産死者や変死者への供養として、川端に塔婆を立てて水をかけたり、幡や塔婆を川に流したりする「流れ灌頂かんじょう」のことを川施餓鬼と呼ぶ場合もある。
新纂浄土宗大辞典
つまり、餓鬼島の由来は、水難者の弔いに関わることが関係している可能性が高そうですね。
現在の地名、福島になったのは下記が参考になります。
▼福島と名づけたのは菅原道真
中世初期まで淀川河口の地であったと考えられており、渡辺津の西に形成された島だった。古代には「餓鬼島」と呼ばれていたが、菅原道真が大宰府へ左遷される途中にこの地に立ち寄った際、「餓鬼島」では縁起が悪いとして好字の「福」を取り「福島」と改名したと伝えられている。
wikipedia
餓鬼島だと縁起が悪い→改名を考えたのは菅原道真です。(鹿鬼は餓鬼、葭は悪しに通じるので良くない)
菅原道真を祀った福島天満宮(MAP)に、福島の地名の由来について説明があるそうです。
また、歩いて行ける距離に下記のスポットもあります。ぜひ参考にしてみてください。