京都市の東山区にある清水寺は、長い歴史をもつ由緒ある寺院です。言わずと知れた京都を代表する観光名所のため、国内外から年間300万人を超える人が訪れます。
清水寺の見どころとしては崖に張り出した「清水の舞台」が最も有名ですが、その他にもたくさんの見どころや歴史的な背景をもつ行事があります。
本記事では清水寺の歴史のあらまし、寺院に関する豆知識をご紹介します。
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京都の「清水寺」の山号を含めた正式名称は「音羽山 清水寺」といい、「古都京都の文化財」の構成要素の1つとして世界遺産にも登録されています。
▼清水寺の拝観には、チケット(拝観料)が必要です。
拝観料は、大人500円、中・小学生200円です。
清水寺の歴史は1400年を超えるもので、京都の代表的な寺院に恥じない長い歴史をもっています。
長い歴史をもつ清水寺ですが、そのあらましはあまり知られていません。また、清水寺は舞台が有名ですが、広い境内には他の見どころもたくさんあります。
応仁の乱などで度々炎上の憂き目にあった清水寺の歴史を振り返ると、坂上田村麻呂、徳川家光など歴史上の有名人物が重要な役割を果たしていることが分かります。
清水寺の「仁王門」です。境内の入口に建つ朱塗りの門で、清水寺の正門になります。
「仁王門」は高さ14メートル、幅10メートル、奥行き5メートルという堂々たる大きさで、左右に高さ3.6メートルを超える1対の仁王像(金剛力士像)を安置しています。
清水寺の「仁王門」に関する豆知識に、門の手前に鎮座する1対の狛犬に関するネタがあります。
通常は1方が口をあけ、もう1方が口を閉じているのですが、清水寺では2匹とも口を開けているのです。
これは仏の教えを大きな声で唱えている姿を表しているとも、辛い思いをして坂を上り寺にやって来る参拝者をユーモラスに和ませるためとも言われ、「阿阿の狛犬」と呼ばれているそうです。
明治時代に献納されたこの狛犬は、奈良・東大寺のものをモデルにしていると言われていますが、その東大寺の狛犬もどちらも口を開けているのです。
他には、「仁王門」に関する豆知識として、この門が「目隠しの門」と言われる由縁です。
高台にある清水寺の舞台からは京都の町が見晴らせるのですが、天皇が住んでいた京都御所も見下ろせてしまいます。それは不敬に当たるということで、舞台から京都御所が見えない位置に仁王門を建てたと伝わっています。
ちなみに、現在の「仁王門」は戦国時代に焼失したあと、16世紀前半に再建されたものという歴史的背景をもっています。
清水寺の「三重塔」です。仁王門とその先にある西門をくぐった先にある高さ31メートルの塔で、三重塔としては日本最大の大きさになります。平安時代に建設されましたが、焼失を経て1632年に再建されたという歴史をもっています。
「三重塔」が新しく見えるのは、1987年に解体修理され、外側の極彩色が復元されたためです。非公開ですが、中には大日如来像が祀られ、四方の壁は極彩色の曼荼羅絵で彩られています。
「三重塔」の豆知識は東南の鬼瓦です。他の方角の鬼瓦は全て文字通り鬼の顔をしていますが東南方向の鬼瓦だけは3層とも龍の形をしています。これは龍が防火の神とされいるためだと考えられています。
ちなみに、清水寺の境内には「子安塔」というもう1つ三重塔があります。
サイズ的には小さなものですが、舞台から正面に見えること、安産のご利益があると言われることで見逃せないスポットです。
三重塔の北西にある随求堂で体験することができます。
真っ暗な暗闇で五感だけを頼りに進む胎内めぐりです。参加費100円です。
本当に真っ暗でなにも見えない地下を感覚だけで前に進んでいくので、ハラハラドキドキする体験ができます。
初めは怖いですが、壁の数珠をしっかり辿っていけば出口まで出られます。
清水寺の出世大黒天。500年前から清水寺の参拝者を見守る大黒天様として崇拝されています。
大黒天は「福徳と財運をつかさどる神様」で、福禄寿・恵比寿・毘沙門天・布袋・寿老人・弁財天とともに七福神の1人に数えられます。
大黒天には五穀豊穣・出世開運・商売繁盛などのご利益があるとも言われています。
石の玉垣にかこまれた小池中に石仏として立っています。
「水をかけている際中に、観音様が笑っていると幸せになれる」と噂があります。
清水寺の「音羽の滝」です。「音羽山・清水寺」の名前の由来になった神聖なスポットで、今でも霊水が3本の筋になって流れ落ちています。
「音羽の滝」の豆知識は、3筋の霊水はそれぞれにご利益が違うということです。向かって右から延命長寿、縁結び、そして学業成就のご利益となりますので、願いに従った水を飲んで祈願してください。
明治初期の1870年代、音羽の滝の水を使ったビール醸造所が建設されましたが、当時ビールはなじみがなかったためか売り上げが伸びず、わずか3年で閉鎖されてしまったという歴史エピソードもあります。
続いて、時代ごとの歴史を振り返ります。
奈良時代から1400年余りにわたる長い歴史をもつ清水寺の歩みには、有名な歴史的人物が登場します。
また、数々の歴史的事件も有名な寺院である清水寺の歴史に大きな影響を与えています。京都の中心地にある清水寺の歴史は日本の歴史そのものでもあります。
清水寺の歴史は、奈良時代の778年に遡ります。興福寺の僧であった賢心という僧侶が夢のお告げでこの地にやって来て、年齢が200歳にもなるという行叡という修行者に出会います。
行叡から後を任された賢心が、渡された木に千手観音像を刻み、行叡の庵跡に建てたお堂に安置したのが清水寺の歴史の始まりとされています。
鹿を追って坂上田村麻呂がこの地にやって来るのはその2年後の780年のことです。賢心から殺生の非を諭された坂上田村麻呂は観音を祀る本堂を寄進しました。
戦勝祈願をし、無事東国を平定した彼は本堂の改修や観音像の脇侍の仏像を祀りました。歴史的人物である坂上田村麻呂は清水寺の歴史に大きく関わっているのです。
平安時代に入った805年、寺は朝廷公認の寺院になり新たな歴史を刻み始めます。
その時の寺名は「北観音寺」でした。観音霊場として信仰を集めた寺の賑わいは、『枕草子』や『源氏物語』などにも記述されるほどでした。
しかし、寺は1063年の災禍を皮切りに、江戸時代まで歴史の記録に残るだけでも9回、寺は火災に見舞われています。
現在の清水寺の本堂は、江戸時代に3代将軍・徳川家光により再建されたもので、他の建築物の多くもこの時代のものです。
明治初期もまた清水寺の歴史にとって受難の時期でした。廃仏毀釈で仏教界全体が荒廃した上に、東京遷都という歴史背景もあり、皇室や公家などの寄進者の多くが京都を離れてしまったからです。
明治期の終わりにやっと古寺社保存法が成立し、国宝の指定を受けたり本堂の修理を行うことができました。
清水寺の宗旨は法相宗、真言宗、そして再度法相宗と変遷してきましたが、北法相宗という現在の宗旨になったのは昭和期の1965年のことです。
長い歴史に比するとごく最近のことなのです。
清水寺といえば、何といっても本堂から張り出している「舞台」が有名です。高さ約13メートル、4階から5階建てのビルほどもある清水寺の舞台から下を覗くと足がすくみます。
この清水寺の「舞台」は、傾斜地に張り出して造る舞台造りという建築方法で造られています。使われているのは18本のケヤキの丸太で、太いものは周囲が2メートルほどもあります。
釘は1本も使われておらず、木材同士が支え合って建っているということを豆知識として覚えておくと、「舞台」の凄さが一層感じられます。
ちなみに「舞台」の床はヒノキ材が使われていて、まさに檜舞台なのです。
「清水の舞台から飛び降りる」という言葉は、「決死の覚悟をもって実行する際に広く使われる慣用句」ですが、歴史的な背景に基づいたものです。
江戸時代には本当にこの舞台から飛び降りる人が多くいたそう。ここから飛び降りれば願いが叶う、運悪く命を失っても成仏できると信じられていたためです。
江戸時代には、命を失った人こそ少なかったようですが、200件を超える飛び降りがあったと伝わっています。飛び降り禁止令が出て舞台に柵が設けられたのは明治に入ってからになります。
今では信じられないような歴史的事実をもつ「舞台」ですが、ここから子安塔の優美な姿や、京都の町並みを眺めるのは清水寺観光の見どころです。
ちなみに、清水寺は風水やスピリチュアルでは、あまり評判はよくないようです。それは、「舞台」の歴史を辿ると想像に難くありません。
京都・清水寺では、歴史的・宗教的背景をもった行事が年中あります。
ここでは、清水寺で行われる年中行事のなかからいくつか簡単にご紹介します。
修正会(しゅうしょうえ)とは、多くの寺院で行われている新年の行事で、前年を省み、これからの1年が平和で穏やかに過ごせるよう祈念するものです。
清水寺でも元旦から7日間にわたって世界平和から五穀豊穣、参拝者の家内安全や商売繁盛などを祈ります。この期間に参拝した人は額に朱印を押してもらったり、「御香水」が授与されたりして無病息災を祈願してもらえます。
古代中国から日本に伝えられた考え方の1つに東西南北を守る四神(守護神)があります。
四神の1つである青龍は東の方角の守護神なのですが、その青龍が清水寺の境内にある音羽の滝に毎晩やって来て水を飲むという言い伝えがあります。
霊験あらたかなその青龍が地域の守護と厄難退散を願って町を練り歩くのが3月と4月、そして9月に行われる「清流会」です。法螺貝の音を合図に町を練り歩く清流は長さ約18メートルの堂々たるものです。龍の前後には夜叉神、四天王、十六善神が従います。
京都の伝統工芸職人の技が結集されている行列の人々の衣装も見もので、華麗な歴史絵巻を見ているようなスケールの大きな行事です。
「千日詣り」は毎年8月のお盆の前後に行われている行事です。1日の参拝で1000日分のご利益が得られるという、観音様の特別な功徳を受けられる期間です。
この時期に合わせて清水寺では夜間拝観や普段は公開されていない場所の特別拝観などが行われることもあり、地元の参拝者だけでなく全国から多くの観光客も訪れます。
「千日詣り」の期間は献灯をすることができます。その灯りと夜間拝観期間のライトアップで浮かび上がる本堂や舞台は言葉に尽くせないほど幻想的です。
「日想観」とは、沈みゆく太陽を見つめて極楽浄土を想うという、毎日誰もがどこででも簡単にできる修行です。太陽が沈む方向は西で、仏教の教えでは西に極楽浄土があるとされているのです。
清水寺の西門からは京都の町が一望でき、夕方にはその向こうに沈む太陽が見られる夕陽の名所として知られるスポットです。日没時にはたくさんの人たちが西門で夕日を見つめ、意識するとしないとにかかわらず日想観をおこなっています。
清水寺では1年に3回「夜間特別拝観」を行っています。お盆の前後に行われる「千日詣り」の期間は上に紹介しましたが、その他に春、秋にも行われます。
春は桜、秋は紅葉と境内が美しく染まる時期で、夜桜や夜紅葉の鑑賞が楽しめます。
「夜間特別拝観」の期間は500基のライトで境内がライトアップがされ、建物や木々が夜に浮かび上がり幻想的な雰囲気が漂いますが、それだけでなく一筋の青い光が放たれます。
この青い光は観音様の慈悲を表す光で、非常に印象的な演出です。
以上、京都・清水寺の簡単な歴史や豆知識をご紹介しました。
清水寺はパワースポットともいわれ、境内には見どころがたくさんあります。
それぞれ、どのスポットも歴史的背景をもっています。
他にも、清水寺周辺には、高台寺、円山公園、八坂神社などの観光名所もあります。
また、それらをつなぐ産寧坂、二年坂、ねねの道など趣のある道が通っていて見どころには事欠きません。
この記事を参考に京都観光の際には清水寺へ、ぜひ訪れてみてください。